Being the only one
and number one

オンリーワンでありナンバーワンの存在に

裏方のスペシャリストとして

私の人生は、常に音楽と共に歩んできました。幼い頃から、ジャズピアニストだった父の仕事を手伝い、裏方としての経験を積んできました。おしぼりを用意したり、ラジオ局でレコードの手配をしたりと、アーティストを支える仕事に自然と喜びを見いだしていたのです。

そんな経験が原点となり、私はエンターテインメント コーディネーターという道を選びました。特に沖縄の米軍基地内でこの仕事をすることは非常に狭き門でした。採用された当時の私は英語がほとんど話せず、読み書きもできず、職歴もアルバイト程度でした。それでもコーディネーターとして第一線で働くことができたのは、挑戦を後押ししてくれた夫、応援してくれた友人たち、そしてミュージシャンであった父の存在があったからだと感謝しています。

アーティストが最高のパフォーマンスを発揮できる環境を作ること。それが私の使命であり、誇りです。

シアーズ 愛 Ai Shears

 

1982年 沖縄生まれ中部育ち 2児の母

【父】 青森県出身ジャズピアニスト / 【母】 沖縄県出身

【夫】 テキサス州出身

沖縄県立具志川商業高等学校卒業。

英会話・読み書きゼロスキルで19歳一人渡米中アメリカ同時多発テロ911と渡米先の祖母が事故死。

20代
国際結婚、初出産、6年間の米軍勤務、夢のマイホーム建設中に憚った苦悩、突然父の自殺未遂から7年間の闘病介護と看取り
30代
個人事業主、第二子出産、コロナ禍での挑戦
ある日突然、肌の色素がストレスで一部抜けてしまう皮膚疾患「尋常性白斑(じんじょうせいはくはん)」が一気に全身に!
40代
沖縄を拠点にグローバル進出が私の夢です。You never know how close you are… Never give up on your dreams !

9・11、家族の死を経験して学んだこと

19歳の時、私は思い立って単身でカリフォルニア州に渡りました。期待と不安が入り混じる新生活の中で、忘れられない出来事が2つありました。

渡米して2か月後、9・11が発生。英語が話せなかった私は、状況を理解できず、ただ恐怖と混乱に包まれていました。その数週間後、帰国を控えた1週間前でした。私をお世話してくれていた祖母が車の事故で急逝しました。「いつ死んでも怖くない」と笑顔で話していた祖母の姿が、今でも心に残っています。

この経験を通して「人生はいつ終わるかわからない」ということを学びました。だからこそ、後悔しないよう自分らしく生きることを大切にしています。

裏方だからこそ得られる喜び

2013年、子育てをきっかけに、子どもたちの健全な成長を支えたいという想いからダンススタジオを立ち上げました。当初から変わらない方針は「技術だけでなく、人として大切なことを学ぶ」こと。挨拶や心配りを重視し、スタジオだけでなく学校や家庭での生活にも目を向けています。

生徒たちは学校でのテストで100点を取ると、その用紙をスタジオに持ってきます。それが新学期から500枚に達すると、みんなで目標達成をお祝いし、バーベキューを楽しむのが恒例です。【100点満点550枚以上でBBQ】

また「ダンスは2番」というKPASの絶対的なルールがあります。学業や家庭での約束が果たされなければ、大好きなダンスに打ち込むことはできないという約束を、生徒たちと交わしています。

さらに、募金活動やチャリティ活動を通じて、社会への貢献にも力を入れてきました。【子ども110番の家】 【森林火災からコアラ守れ!】

私はダンサーでもミュージシャンでもありません。しかし、エンターテインメントの世界で裏方として培ってきた経験があるからこそ、私にしかできないことがあり、また、KPASだからこそ生まれる価値があると信じています。

裏方だからこそ見える景色や得られる喜びを、沖縄人として皆さまにお届けし、そして恩返しの形として、その想いをこれからもつないでいきたいと思っています。

Ai Shears

KPAS Entertainment

Coordination Artist

- コーディネイトアーティスト -

Japanese Artist

  • 西川貴教
  • HY
  • Wakane Luke
  • KIRA

You never know how close you are...
Never give up on your dreams!!

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